岩崎将史です。
「なんで人は新しい物や事に興味が行くのか?」「なぜ勉強や研究をしなければいけないのか?」「なぜ常にチャレンジしなければいけないのか?」「そもそも何のために生きているのか?」という問いに、僕は中学生くらいから明確な答えを持っていて「子孫を残すため」「数億年以内に宇宙に行くため」と回答しています。
実際に先日も子供にそのように説明しました。
似た様な考えの人もいると思いますし、違う人もいると思います。
この価値観を他人に強要するつもりはないですし、共感して欲しいとも思っていませんし、正しいとか間違っているとかを判断することでもありません。
「子孫は=子供」という意味ではないです。
子供を作らない人も作れない人もいるのが当たり前で、「子供を作ろう」とかの話でもないので勘違いなさらぬよう。
遺伝子を残すのが次第の使命
もう少し違う言い方をすると「遺伝子のような何かを継承し続けていけるかどうか?」という感じでしょうか。
僕は生物学を勉強しているわけではないので、ただの受け売りですが、
「人間の遺伝子の99.9%は一緒」
と言う事らしいので、他人の子の教育に携わることでも、十分に子孫を残す活動と言えると思います。
他人に貢献することが文化的社会活動
生命を繋いでいく事に貢献する事にこそ最大の価値があると思っていますので、その考えが学校で指導するモチベにもなっています。
子供が有無、出来る出来ないに関わらず、現代において経済活動をしていれば、人類の生活を支える何かしらに勝手に貢献をしている事になります。
それの活動が「社会」であり「文化」と理解しています。
そして、社会は人が作っていますので「人を育てる」と言う行動が最も価値のあるべき事だと言えます。
これは学校の教員だけを指しているわけではなく、どんな職場でも「人を育てる」というアクションは必ずあり最重要事項の筈です。
もしそのアクションを選択している組織があるとしたら、その組織は必ず衰退します。
諸々の研究開発や教育予算を削減していくという国が、もしあったとしたら、イコール自殺願望とも言えます。
英雄と犯罪者の違い
社会や文化の発展に特別大きく寄与すると英雄になります。
研究者、発明家、政治家、芸術家などなど。
逆に犯罪というのは、生命を奪う行為であったり生存可能性や文化存続性を妨げる行為と考えています。
実際の法律はそうではなくもっと難しい事を細かく考えているのでしょうが、僕は大きくその様に理解しています。
この観点からすると、先日の京アニの事件は、生命と文化の両方の断絶をもたらす行為という事で「本当に酷い事件」としか言いようがありません。
少しでも生存者の回復と作品への思いやノウハウの継承がなされること願っています。
ひるがえって、中世や近世の戦争指導者や戦地活躍者が英雄として記録されているのは、人の命や生活、文化を守る、発展させるという大義あったからで、その要素がない人は大悪人となります。
大義が現代の価値観で正しかったどうかというのはまた別の議論として。
現代の大量破壊兵器が全人類ほぼ共通の問題として認識されるのは「生命と文化の両方を断絶する可能性」を秘めているから。
だから世界共通の問題として認識されやすい、と理解しています。
なぜ勉強するのか?新しい事に興味を持つのか?
「なぜ人は勉強するのか?」と言われると「人は宇宙に行かなければ行けないから」と割と真面目に10代の頃から回答してきました。
これはSFアニメや中二病的な話ではなく、普通に当たり前の事として考えています。
少なくとも50億年後には太陽はなくなるそうなので、それまでには何か解決できる状況を作っていなければ地球生命のDNAは全滅です。
1世代、2世代で宇宙へという直近の話ではなく、僕自身は乗り物が超弱いので無理です。
機械動力の乗り物が誕生して、まだ150年。
数十世代のちには、
「昔の人は、乗り物良いってのがあったらしいね。意味わからんし〜」
とか言われているくらし進化した種が出てくるかもしれません。
そして数百世代か数千世代かそれ以上かもしれませんが、太陽無くなる問題を克服することも不可能ではないと思っています。
僕自身には無理でも、次の世代を作っていければそれは一歩近づいた事になると思いますし、少しでも技術や進歩に前向きな興味を持ってもらえれば、より大成功です。
人類全員が同じであるべきか?
では「人類全員がそのように考えるべきか?」と言うと違います。
それぞれが好きな様に考えて生きていくべきだと思います。
どちらが正解かは誰にも分からない
正しいと思われていた事が、後世では真逆になるという事例は沢山あります。
強竜がは世界を席巻していたその当時にでは。種の進化として正しかったように見えたでしょう。
実際には絶滅しました。
文化でも同じことが言えます。
地動説は有名な事例ですが、エンタメでも当時は低俗だったものが後に主流になったりしますし、その逆もあります。
自分と違う人、全体からズレている人
と常に考えているので「あの人変わっているよね?」というのは、別の可能性を内包しているかもしれない人という事で、僕には褒め言葉にしか聞こえません。
今でこそ市民権を得ている言葉だと思いますが、昔はイジメのワードでもあったりしました。
僕にはさっぱり理解できませんでしたが。
買い物してる時に店員さんに「今はこれが売れてます」とか「この色が人気あります」と勧められると「じゃあ要らない」となります。
協調性を求める人
では協調性を求める人がダメかというと、言うまでもなく、そんなことはないです。
集団だからこそ出来る事もありますし、それによって生き残っている種もあります。
バランスも大切ではない
バランスが大切という意見もあります。
個人だったり組織だったり、新しい物だったり古い物だったり、グローバルだったりローカルだったり、仕事だったり家庭だったり。
僕は僕は大切とも考えていません。
バランスしている事にも価値あるし、両極端に尖っている人にも価値がある。
どんな物事でも5%~20%くらいは少数派は居るものです。
色々な物事を重ねて最大公約数を求めると多くの人がこの範囲に居るよねというが、「ふつう」や「常識」と呼ばれていると思っています。
定義を絵にしてみました。
こんなイメージ。
中の方にいるからこそ分かる事や理解出来る事もありますし、どこかの先端に居るからこそ価値になる事もあります。
同じポジションの人は世界に1人も居ないと思います。
社会、国、地域、年齢などで分布の偏りもあるので、「ふつう」の範囲はそれぞれで変わってきます。
専門性が進んで、もはや「普通」は存在しない
さらに昨今の様に急激に技術や時代が変化していくと、この共通の「ふつう」というフィールドが相対的にどんどん狭くなります。
こんなイメージです。
人間の時間は1日24時間しかありません。
時代が進むほどそれぞれの専門領域がより高度になり、全員が合致する部分は少なくなります。
近世までなら火を起こせない人間は生きていけませんので、火を起こせる人が普通だったと思います。
が、今は火を起こせない人の方が普通です。
その分、プログラミングをしたり、ビルを立てたり、飛行機を飛ばせたり、それぞれが出来る様になっていますし、それらの全てができる人は殆どいません。
だからこそバランスが取れていることに価値があるかもしれないし、その逆もあり得るます。
答えは誰にも分からない
全ては「結果」でしか判断できません。
結果、生き残ったものが正解です。
哲学的な意味では生き残る事すら正解ではないかも知れませんが、少なくとも後世において光景が形を変えてでも存在できなくなった物は、元から無かったと同じです。
結果にはありとあらゆる要素が絡んでくるので、人間の脳が簡単に「これが正解」と答えを導き出せるようなものではないと考えています。
そういう観点から先日、
と書いてしまいました。
僕自身はタバコは吸いませんし、一生吸わないと思います。
今は喫煙者は徹底的に排除される事が正義という感じですが、つい20年前まではレストランでもスタジオでもどこ行っても煙モクモクでした。
それによって病気になったり種々の弊害があったので、「タバコの煙を吸いたくない」という人がいたらそのように生きられるのは、あるべき社会だと思います。
が、人類がおそらく数千年に渡って続いてきた文化でもありますので「完全にゼロが正しいのか」と言うと、そうとは誰も言い切れないと思っています。
本当に間違っているのなら、タバコを吸う種は発展してこなかったかも知れません。
もしかしたら、数十世代後に何かしら環境変動があったときに、煙に体制のある種として分化しており生き残る可能性もゼロとも言い切れません。
あくまでも可能性の話ですが。
身体生命的な特徴もそうですが社会分化的な自称でも同じで、種々の歴史が証明しています。
今それが正しいと思われていた事が、50年後には簡単に真逆になったりするものです。
あらゆる種を残す重要性
その時に正しい物が普遍的に正しいわけでもなく、間違っているものが普遍的に間違っているわけでもない。
生命は進化分化をしながら多様な種に広がり、どれかは絶滅しても別の種は残ってを繰り返してきました。
で、何が言いたいかというと、人それぞれ価値観やポジションが違って良い、と。
今、正解を言えるとしたら種を限定させない事だと思います。
大きな目でみれば何が正しいかというのは分かりません。
それぞれの価値観を他人に強要するのはやめましょう、という事です。
僕みたいに子供を育てる事がメインでも良いし、どこかの誰かみたいに「子供作る意味が分からない」とか言いながらもロケットの開発をしてくれてる人もいます。
その技術は必ず将来に繋がっていくと信じています。
僕はできればそう言う人には「子供作るやつは馬鹿」みたいな事は言って欲しくはないです。
「を?こちらの考えに侵略してくるのか?」というスタンスにちょっとだけなって警戒します。
それが「僕は子供は作りません」なら、どうぞご自由にとなります。
それぞれの生き方です。
さらに進んで「子供作るやつは許さん」とか言い出す人がいたら明確な侵略者として対応します。
お互いの生き方を物理的に邪魔するかどうかが分水嶺です。
組織には目的、イシューが必要
人としては自由ですが、会社としては「組織」ですので、完全に個人がバラバラ自由では存続できません。
うちの場合だと僕が冒頭に書いた様な価値観ですので「進歩」に関心がない人は排除します。
そうじゃないと何のための会社なのか意味がないです。
組織それぞれが違って良い
けど、そんな人でも活躍できる別の組織やフィールドはある筈です。
価値観を共有し実践できれば、どんな価値観でも意味を持って社会に影響していきます。
それぞれがそれぞれに思う生き方ができて、人や技術や文化がそれぞれで継承し繋いでいける。
そんな事を日々、考えています。