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日米の違いと歴史的背景からみる【音楽アーティスト事務所の役割】

日米の違いと歴史的背景からみる【音楽アーティスト事務所の役割】_アイキャッチ音楽の学び
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岩﨑将史まさふみです。

音楽アーティストの事務所の意義について、色々と考えることがありますが、今回は歴史的背景から来る日本の特徴について解説します。

とはいえ、現代ではその様相は既に大きく変わり始めています。

おそらく1970年代以前の生まれである僕と同世代以上の人は、なんとなく肌感覚で分かることかと思いますが、特に2,000年以降生まれの現役学生世代だと、老舗の事務所と新興の事務所の違いが当然ながら分からず、言葉や感覚の共有が難しい場合があります。

過去の背景を知ることによって、若い音楽アーティストの活動の参考になればと思います。

日米の違い

なぜ?納得できない

日米の音楽アーティストのポジションの違いを簡潔に表すと次の様になると言われてます。

  • 日本は事務所の会社員。
  • 北米は独立した個人事業主。

全てにおいて当てはまる訳ではありませんが、なぜこの様に言われるのでしょうか?

所属か委託か

北米の場合は、アーティスト自らがマネジメントやエージェントと契約をして仕事を取ってきたり管理を行います。

日本の場合は、事務所が新人を発掘し育成や開発をして売っていくというスタイルになっていた所が多いです。

音楽だけでなく芸能全般に共通

僕は音楽の人なので役者やお笑いなどの他の芸能の事は分かりません。

ただし音楽アーティストの事務所というと、大手の一部は芸能事務所の一部として音楽タレントを扱かっているという側面もあり、共通している所というかほぼ同じです。

新興の純然たる音楽アーティスト事務所には当てはまらない部分も多いですが、業界全体を通して醸成されているマナーや空気みたいなものは、共通する部分もあります。

ですので「音楽アーティスト」の事務所という事で今回は書くのですが、ほぼイコールで芸能事務所としてという解釈でもあり名称も混在するかと思いますことをご了承ください。

背景の違い

ニューヨーク NY New York

「何故この様に違うのか?」というと、音楽アーティストに限らない話ですが、芸能ごとが発展していった歴史的な背景が大きく違うからです。

北米はティン・パン・アレイが原点

北米の音楽ビジネスにはいくつか大きな転換点がありましたが、現代の形に最も影響を与えた転換点はアメリカで1900年代初頭のティン・パン・アレイから始まったポピュラー音楽のビジネス手法です。

ティン・パン・アレイでの音楽ビジネスについては、こちらの過去記事でも解説していますので、是非読んでみてください。

アーティストはどこかの社員や契約社員的な形で所属するのではく、一例としてはエージェントを通してオーディションを通過した場合に仕事となります

その辺りは人の記事ですが直接その場にいる方の記事の方が空気感が伝わるかとおもいますので、リンクしておきます。

またブログ運営的には他社ブログ記事への誘導はマイナスですが、より北米の事情がイメージしやすいかと思いますのでリンクしておきます。

日本の原点の1つは地域のお祭

日本の芸能の特徴を育んだ背景の1つとして、最もイメージしやすいのは戦後に復興した各地のお祭りだと僕は考えています。

現代の若い人にはイメージがつかないかも知れませんが、まだ僕が子供の頃の昭和の時代には、市や町といった大きな単位だけでなく、駅や街道などの商店街単位でも毎年盛大にお祭りが行われていました。

この背景をみると、のちのテレビなど様々なメディアとの諸々の状況も見えてきやすくなります。

それだけではありませんが、全体像を知る上での特徴的な1つの背景として分かりやすいと思います。

近世・近代日本におけるお祭りの重要性

近世・近代の日本におけるお祭りの重要性というのが、今の若い人には少しイメージがしづらいかも知れません。

地域の住民全員が必ず関わるイベントでした。

とかくと若い人は「うざい」というイメージを持たれるかも知れません。

「なぜわざわざ地域の人達と関わらなくてはいけないの?一人で好きなことしたい」

という感覚が現代的ではあると思います。

昔は今と違い、テレビもインターネットも無い時代。

それほど大した娯楽がない時代に、農業的な節目や宗教的な節目で労働の隙間が得られる時期。

多くの人が参加し楽しみにしていたのが「お祭り」でした。

どれほどの数のお祭りがあったのか?

総務省の資料によると市区町村という大きな単位だけをみても、近年の合併がくりかえされた現代でも1,700以上があります。

少し前の平成11年でも3,500もの市区町村がありました。

お祭りが行われる地域の単位というと、さらに細かく分かれていましたので、相当の数のイベントが毎年開催されていた訳です。

お祭りに組み込まれていた歌謡ショー

お祭りは日本各地で地域の風習に基づいて開かれています。

日本のお祭りといえば、

  • 神輿
  • 盆踊り
  • 屋台・縁日

などをイメージする人も多いと思います。

屋台のイカ焼きにリンゴ飴・金魚すくいや花火などは誰しもが経験をしたことがあるのではないでしょうか?

神事や祈祷から娯楽へ

元々は神様へ自然への感謝の気持ちを表すための祈りとして始まり、古代では五穀豊作や平和などを願い、災いが訪れた際には退散を願うなど、祭りは常に人々の暮らしと密着したものでした。

人々のほとんどが農業や漁業者の時代ででは、自然の周期に合わせたお祭りがとても重要な文化となっていました。

江戸時代に入る頃には「娯楽化」されて神輿や獅子舞・花火といった派手な演出で庶民を中心に、大衆文化になっていきます。

明治時代では「神仏分離令」で一旦禁止されますが、終戦後には日本の祭りを復興させようとする動きが盛んになり、それ以後は江戸時代のように娯楽としての意義が強い祭りが行われるようになりました。

現代よりも重要性の高かったお祭り

現代では、

  • 多様な娯楽の出現
  • 農業・漁業従事者の減少により季節的な信仰行事の価値観の低下
  • 出生率低下、子供の減少によりお祭りの盛り上がり低下

などがあり一部の全国的に有名なお祭り以外は廃れていく傾向にありますが、当時は重要な地域の一大イベントでした。

歌謡ショーが人気だった理由

戦後の娯楽職の強くなったお祭りでは、多くの場合に特設の舞台が設けられ何かしらショーが行われていました。

今でこそお祭りの特設ステージでの演目というと多くの種類があります。

  • ヒーローショー
  • マジックショー
  • ダンスショー
  • 音楽演奏

などが定番でしょうか?

近年は音楽もプロではなく地元やアマチュアのミュージシャンがライブを披露する機会になっている場合もあります。

コレには各地の商店街などが寂れ、現地の運営者たちの経済的基盤が弱くなり予算不足になっていった背景などあります。

そのような中で「歌謡ショー」というのも重要なイベントの1つになっていました。

1900年代半ばは、まだTVも無い時代です。

高速道路などもなく鉄道は煙のでる機関車の時代。

地方の人々は街へ出るのも一苦労。

ラジオで聴く歌謡的な音楽が、生で聴ける、見られるというのは貴重な体験で、音楽ショーは多くの人達に楽しみになっていました。

戦後日本の独特な芸能文化の背景

祭りの写真

TVやインターネットのない時代、歌謡歌手が聴衆の前で歌える舞台の歌うことのできる大切な機会の1つであったお祭り。

こうしたお祭りの多くは地元の実力者達が担っていました。

テキヤが取り仕切る地域のイベント

お祭りではテキヤと呼ばれる集団が、地域のお祭や縁日などを取り仕切っていました。

近年というわけでもないですが漫画原作でドラマにもなった「ごくせん」などで、主人公一家の子分たちが縁日や屋台などを出店したシーンがありました。

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その様なイメージを僕も持っていますが、テキヤはまた少し違うものという講釈もあります。

その辺りは僕もよく分かりませんので触れません。

いずれにせよ各地域のイベントと関わるためには、こうした取り仕切る人達とどのようにコネクトして出演を受注できるか?というのが重要と言われていました。

バスを用意して全国を巡る

芸能事務所はこうした各地域の出演を取り付け、一座はバスなどで全国を巡っていたようです。

一つの例として、高知県大豊町の「美空ひばりさんのバス転落事故」があります。

当時9歳の美空ひばりさん一座を乗せるバスが崖下に転落し、意識不明になった事故。

似たようなエピソードは全国に無数にあるかと思います。

僕の両親が高知県出身ということあり毎年、お盆の帰省時期には大豊町を通過していました。

そのため通る度に、看板を目にして印象に残っています。

人気歌手になると全国から引っ張りだこですが、可能な公演日数は移動や体力を考えると年間に100~200本が限界でしょう。

当時は小さい子供ながらに興行の大変さを感じていました。

美空ひばり – Wikipedia では幼少期に暴力団・山口組の組長に挨拶に行った下りが書かれています。

メンツやテリトリーが重要な文化的背景

こうした興行のベースにある背景の違いにより、日米の芸能事務所のビジネス感というか原理原則の様な物が違うのではないか?と言えると思います。

参考記事にもあるように、日本のテキヤ関係はテリトリーなどの縄張り感覚やメンツを重要視します。

「〇〇にでるなら俺を通せ」

「〇〇を出せないなら代わりに誰か立てろ」

など、音楽アーティストが中心ではなく、イベントや主催者、興行主などの立場がまずあってブッキングされるという原理がありました。

そのため音楽アーティストが「どのようなスタッフ陣容を整えるか?」ではなく「誰の元に所属するか?」というのが重要という背景があったのです。

芸能事務所も当然ながらそうした社会団体とのコネクトは避けられず、上手く繋がりを作った事務所が安定的な経営を行うことができるようになったことは、用意に推察できます。

様々なことに影響していた

これらの背景は、しばらくの間、日本の芸能事務所シーンに影響を与えていています。

それぞれの細かい経緯や理由は省きますが、TVの一部の音楽番組などでも、おおよそ時間や配分などで特定の事務所のアーティストが必ず出演していたなどに見ることができます。

先に例を出した美空ひばりさんの事故は当時9歳です。

今でしたら厳密に調査すれば法律に反することもあったと推察できます。

また昔の芸能人には日本在住の外国籍の人が多かったというのも有名な話ですが、当時のこうした過酷な状況でも「歯を食いしばって自分の居場所を作るというというパワーが純粋な日本人より圧倒的に強い」という話を大手事務所のスタッフから聞いたこともあります。

現代ではこれらの様相は大きく変わってきました。

特にここ10年は、インターネットの発展と共に、戦後の日本で活躍した世代が去り、新たな人材が活躍をはじめて全体の価値観がアップデートされてきたというのが大きいのではという印象を持っています。

今後は変わる音楽アーティストの事務所の意味

これからという既に音楽アーティストのマネジメントの概念は大きく変わってきています。

TVなどの過去のメディアに関しては、引き続き古典的な事務所中心のブッキングというは続くと思いますが、多くの分野においてSNSやHPなどを通じてアーティストに直接コンタクをとり仕事をブッキングできる時代になりました。

マネジメントやブッキングの概念が北米型のスタイルになっていくのは必然だとおもみます。

そうなると、

自身で営業や管理のできるスキルが必須

どの部分を任せるか任せないかを判断する能力

僕個人はこの流れは20代の1990年代から訴えて20年経って、やっとココまでかという感じでもあります。

音楽アーティストにとって必要なのは、

  • 誰かが拾ってくれる
  • 誰かが宣伝してくれる
  • 誰かが売ってくれる
  • 誰かが仕事を取ってきてくれる
  • 誰かが雑務をやってくれる

ではなく、全てを自分でやる、やりたいがリソースが足りないのでお金を払ってやってもらう、指示を出す、というのが通常になっていきます。

というか個人事業者としてはそれが当然で、他の一般的なビジネスはすべてそうなわけです。

未だにサラリーマン感覚の音楽アーティストは、流石にもう居ないかと思いますが、今後の活動を考える上ではとても重要なことだと思いますので、ブログに書かせて頂きました。

それではこの辺で。

ではまた。

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