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経済でみるクラシック音楽【交易による富で発展】

音楽の学び
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岩崎将史まさふみです。
これまで何回かクラシック音楽の歴史背景について書いてきました。

その発展の原資は大航海時代による富の獲得だと僕は考えています。
できるだけ分かりやすくまとめて解説してみます。

クラシック音楽は大航海時代による富の獲得で発展

ヨーロッパの歴史は大きく古代中世近世近代現代という分け方で語られます。
この流れで見た時に、クラシック音楽が急激に発展したのは近世です。

この近世とそれ以前の中世では何が違うのか?

大航海時代時代以降に発展したクラシック音楽

上の図を見て頂けるとわかります。
音楽の歴史や文化を理解する上で、僕がキーワードに上げているのは大航海時代です。

これ移行でヨーロッパのクラシック音楽の文化は大転換を迎えることになります。
なお、右にギュイーンと上がっている上がっている、ヨーロッパののGDPを入力したものです。
昔に作成したグラフでソースの論文があったのですが見つからず…。
見つかったら加筆します。

こうしてみると、この時代を境に大きく経済成長をして音楽が飛躍的に発展しているのがわかります。

世の中には色々な見方がありますが、僕は音楽文化の流れを押さえる上で1番スッキリ理解しやすいポイントだと考えています。

歴史の見方は人それぞれ。あくまでも僕の考えですので、異論反論は何でもありです。
あなたは僕に騙されているかも知れません(笑)

大航海時代というと僕の年代は光栄(旧) のこのシリーズがリアルタイムでした。

大航海以前と以後の違い

Eltz Castle, Wierschem, Germany

大航海時代以前と以後で何が違うのでしょうか?

キリスト教が価値観の中心である中世

中世とは?を一言で表すとするとローマカトリック教会の時代と言って良いと思います。
西ローマ帝国の終盤にミラノ勅令(313年)で、それまで異端とされていたキリスト教が公認されます。
程なく西ローマ帝国が滅亡(476年)し、中世の時代へ突入。
それまでのローマ的な市民的、発展的な時代から暗黒時代とも呼ばれる時代になります。

ローマ帝国が整備した街道は寸断され、教会を中心にした都市コミュニティが乱立し事実上の国家として機能していきます。

キリスト教の価値観にそぐわない価値観が異端とされ、科学や技術の進歩はローマ帝国時代に比べて著しく停滞することになりました。

音楽ではグレゴリオ聖歌を始めとする宗教音楽が中心の時代です。

その後、AD1400年〜1500年になると、再び古代ギリシアやローマの文化を復興させようという機運が高まってきます。

AD(=西暦)自体が「主の後世」という意味です。以下にキリスト教的価値観が基準だったかの象徴です。

絵画で見る中世と近世の違い

中世は基本的にキリスト教世界の表現が主流です。

中世の美術

ビザンティン美術

チェファル大聖堂 (wiki)

ロマネスク美術

聖書の挿絵 (wiki)

ゴシック美術

ユダの接吻 (美術鑑賞教育研究所)

ゴシックになると少し近世絵画的な要素も出てきますが、近世の初期であるルネサンスになると違いが顕著になります。

ルネサンスの美術
サンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』
1483年頃 (wiki)
レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』
1472年 – 1475年頃 (wiki)

ヴィーナスの誕生」のようにキリスト教的世界ではなくギリシャ神話を題材にする作品が増えてきます。

イタリアで始まったルネサンス

ルネサンスはイタリア語です。
再生という意味で、キリスト教的世界観にとらわれずギリシアやローマの良き時代の文化を見直そうという動きが1300年代後半のイタリアから始まりました。
その後、他の欧州諸国へは100年ほど掛けて1500年代に向けて広がっていきました。

文化や科学が発展

それまではキリスト教的価値観により束縛され停滞していた科学や文芸などが発展しはじめます。
絵画では油絵の技術が確立されました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは誰でも知っていると思います。

余裕のある市民が登場

レオナルド・ダ・ヴィンチもフィレンツェ出身のイタリア人です。

イタリア北部でオペラの文化が生まれました。
イタリア北部は経済的に裕福であり、市民に余裕が生まれていました。
物語を音楽と演技で伝えるオペラは最高のエンターテインメントの1つでした。

交易による富が源泉

なぜイタリア北部の市民が裕福だったのかというと、当時は地中海貿易をほぼ独占しており、ヨーロッパとアジア、アフリカなどとの交易の拠点だったからです。

科学や芸文の発展には経済的余裕が重要だという歴史的証明の1つです。

大航海時代の富の変遷

やがてイタリアの交易商人たちは、地中海ルートでの交易に限界を感じるようになります。
それはオスマン・トルコ帝国の存在です。

オスマン・トルコ帝国の領土拡大 (wiki)

強力な軍隊を持つオスマン・トルコ帝国が生まれ、領土を広げ当方の交易路を遮断していきました。

新たな航路を求めて

危機感を感じつつ、さらに富を増やすべく、商人たちは新たな交易路の探そうとします。
イスラム圏から伝わった羅針盤を使い、帆船の遠洋ルートでアジア、インドと交易ができるのではないか?という考えにいたります。

そして、ポルトガルやスペインの王を焚き付け、大西洋ルート、そして太平洋ルートでのアジア貿易に乗り出していきました。

大航海時代の著名人たちはイタリア出身

大航海時代というと初期はポルトガルとスペイン。
やがてフランスとイングランド、ネーデルランド(オランダ)などが世界中へ進出して植民地化を進めていきました。
がそれらの背後で躍していたのはイタリア人たちでした。

マルコポーロ (wiki)

東方見聞録で有名なマルコポーロはベネチア共和国の商人

クリストファー・コロンブス (wiki)

新大陸発見のコロンブスはジェノヴァ共和国出身。
ポルトガルとスペインの王に提案し支援を受け航海に乗り出しました。

ジョン・カボット (wiki)

後発国のイングランドはスペイン、ポルトガルがまだ手をつけていなかった北米にジョン・ガボットを雇い探検させました。

本名をジョヴァンニ・カボートと言い、ジェノヴァ出身です。

ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノ (wiki)

同じく後発国のフランスはイタリアジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノを雇い北米東海岸を世界で始めて探索させます。

ヴェラッツァーノの航路 (wiki)

他にも多くのイタリア出身の人達が欧州各国の王室にプロモーションをかけ、雇われて航海と探検そして交易を行っています。

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クラシック音楽に交易の富がもたらした功績

こうして香辛料を中心に、綿花、金、奴隷など様々な物が取引されるようになっていきます。

香辛料はとして人気だったのは胡椒こしょう丁字ちょうじ肉桂シナモンナツメグ・カルダモン・ジンジャーなど。東南アジア原産が主流でした。アジアの食事が美味しいというのは豊富な香辛料の影響もあるのかも。

交易に携わる商人を中心にしてい市民に余裕が生まれます。
支援をした諸国の王や貴族も、交易やそこから上がる税収により裕福になっていきました。

市民が楽しむオペラ

イタリアから広まったオペラ

ルネサンスによりイタリアではオペラが普及します。
が、音楽の作りは通奏低音で、バロック以降と比較するとシンプルな前時代的な作りでした。
市民の娯楽としては音楽的な技術力の高さよりもストーリーなどのエンターテインメント性が重要だったからです。

やがて各国に伝わり他の発展した要素と絡み合いながら音楽の発展に寄与していきます。

巨大オルガンを競って建造

ポリフォニックやハーモニーなどは宗教音楽の中で発展していきました。

ゴシック時代には大型の教会が建造されていきました。
ヨーロッパでのパイプオルガンは800年代から作られていましたが、1600〜1700年代のバロック時代になると各所で巨大オルガンの建造を競うようになります。

オルガン文化が普及し、現在の音楽理論の基本がこの時代に成立していきました。

こぞって宮廷を建設し室内楽が発展

富を得たヨーロッパの王侯貴族立ちはこぞって宮殿を立てるようになりました。

宮殿の代表例「ヴェルサイユ宮殿」


宮廷では専属の音楽家や作曲家を雇い、日夜様々な音楽が作られ奏でられていきました。
ここで室内楽を中心にアンサンブルが飛躍的に発展していきます。

そのあたりは室内楽ホールについての記事で詳しく書いています。

強力な軍隊と共に管楽器の発展

管楽器は室内楽楽器とはまた少し違うフィールドで進化をしてました。
それが軍楽隊です。
マーチング・バンドと言えばより分かりやすいかも知れません。

軍楽隊の歴史

アジアでは古代から運用されていたとわれていますが、ヨーロッパに影響を与えたのはオスマン・トルコの軍楽隊でした。

オスマン帝国の最大領土(1683年)

メフテルと呼ばれる軍楽隊を運用するオスマン・トルコは強国でした。


ヨーロッパへ遠征する際に西欧の各宮廷にも知られるようなります。

イタリアの貿易商人たちが地中海トルコ経由のインド、アジア貿易ではなく洋路を求めたのは前項で書いたようにオスマン・トルコも理由の1つです。

豆知識

モーツァルトの名曲「トルコ行進曲」の原案はこの軍楽隊の音楽から来ていると言われています。

そして力を付けたヨーロッパ諸国も1700年代にオスマン・トルコのメフテルに習って同様に軍楽隊を整備していきます。

使われる楽器は音の大きな金管楽器と打楽器。
金管楽器の原型はそれまでもありましたが、この時代に急激に今の形に進歩し整備されていきました。

各分野への進歩が統合されたオーケストラやグランド・オペラへ

この様に各所で発展、進歩した音楽はやがてオーケストラグランド・オペラと言われる大規模総合芸術でひとつの頂点を迎えます。
グランド・オペラについてはオペラハウスの記事で詳しく書いています。

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まとめ

これまで書いてきたように、クラシック音楽の発展は交易によりもたらされた富の影響が大きいです。

  • イタリアでは市民の生活にゆとりが→オペラが作られ市民が楽しむ
  • 宮廷が建設され室内楽が発展→弦楽器木管楽器
  • 強力な軍隊軍楽隊の編成→金管楽器打楽器
  • それらの全てを統合したオーケストラや総合芸術が発展

そして裕福になった市民は、その後の革命へと力をつけて行くことになりました。

では、また。

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