こんにちは、岩崎将史です。
今回は国内の音楽レコード会社について。
国内レコード会社の誕生から発展、そして成熟期を経て大きな転換期を迎えるまでの大まかな流れを解説します。
大学での講義用にまとめた物をブログ化しています。
今後の音楽ビジネスの展開を考える上での参考になれば幸いです。
現在、リライト中でして少し構成がおかしい所があるかもです。近日中に完了します。
レコード会社の定義

最初に今回の記事でいうところのレコード会社の定義について定めておきます。
当記事では、
「音声のみの録音作品(=音楽レコード)を商品として扱う事業」
とさせていただきます。
「音楽レコード」は「レコード盤」のみでなく、
- CD
- 音楽ダウンロード配信
- 音楽ストリーミング配信
などの「録音されたレコード作品」全体を指します。
レコード業界の主な時代区分
レコード業界を歴史視点で俯瞰すると大きく4つの時代に分離できると私は考えています。
- 1880年頃からの掛けての録音メディアの開発と黎明期。
- 1900年頃からの商品として録音媒体が市場に登場しだした時代。
- 1950年頃からのレコードセールスとヒットチャートがエンターテインメントの中心の1つだった時代
- 2000年頃からの市場が物理メディアから配信メディアに変わっていった時代。
年数については流れを覚えやすいように大まかに四捨五入しています。
この記事をリライトしている2026年現在、時代は完全に物理メディアから配信メディアに置き換えが完了した時代と言えるのではないでしょうか。
2年くらい前までは学生でも押しのグループのCDアルバムを購入して大学に持ってきて、他の学生や先生にも見せていわゆる布教活動をしている学生も僅かながらいました。
しかし、ここ1年はCDなどの物理メディアを購入したなどの話は一切聴くことがありませんでした。私が知らないだけかもしれませんが。
稀にビニールレコード盤やカセットテープなどがSNSで話題になる時もありますが、あくまでも一部の瞬間的な話題で、産業として持続性や継続性のある位置づけではないという印象です。
録音メディアの開発と黎明期
録音メディアの最初としては1877年のアメリカ人・トーマス・エジソンによる錫箔円筒蓄音機の公開実験が良く語られます。
錫箔円筒蓄音機 (フォノグラフ)
錫箔円筒蓄音機については私も知識としてしってる程度ですの、興味のある人は詳しいサイトなどをみてみてください。
これが「phonograph」と命名されました。
良く1978年には東京で英国人ユーイングが公開実験を行っています。
その時の実機が国立科学博物館で管理されているらしく、下記のサイトにて詳細が記されています。
円筒形から円盤へ
その後、記録部分が円筒形から円盤になったり、様々な実験や開発が行われ1900年頃になるとレコード盤として市場に登場するようになりました。
具体的な流れは下記のレコード協会のサイトに記載されています。
フォノグラムが米国での公開実験の翌年には日本国内でも同様の実験と発表などが行われた事から分かるように、音楽・音声メディアの変化は米国や欧州と国内とではほぼ時間的差はないです。
あまり時差のない音声・音楽メディア
特に昭和の時代を経験してきた日本人は、先に米国や欧州で広まり、遅れて日本に入ってきたてというイメージを持たれている方も多いかもしれませんが、多少の時差はあれどほぼリアルタイムでどの国も変化しています。
1890年に東京横浜間で日本初の電話交換業務が開通しています。
これはグラハム・ベルが電話機を発明してから僅か14年後です。
1920年に米ピッツバーグで最初のラジオ放送が開始されましたが、日本では1925年に東京で日本初のラジオ放送が開始されています。
もちろん完全に同時ではないですが、歴史の時代感を語る上でアメリカと日本の音楽メディア史を別の歴史として語る意味はない差です。
近代は中世や近世と違い直ぐに同様の技術情報を取得して実践していった時代に入ったと言えるでしょう。
レコード会社や販売店の設立
1899年に東京・浅草に蝋管蓄音機店三光堂が立ち聞き点を開店したのが、レコードメディアを扱った国内の最初のビジネスと言われています。
1900年代に入ると、米国のビクター、コロムビアなどが「平円盤」発売。
今で言うところのレコードですが、当時は「平円盤」と呼ばれていました。
日本では「コロムビア」の平円盤を天賞堂が1903年に販売開始。
翌年1904年に「グラモフォン」の平円盤を三光堂が販売を開始しました。
最初はこの様な形で海外の録音メディアを日本で売り初めましたが、1907年には「日米蓄音機製造株式会社」が設立され、国産初の円盤レコードと蓄音機の製造が始まっています。
日本国内で「平円盤」が「レコード」と呼ばれるようになったのは、これと同じ1907年 (明治40年)。
銀座の老舗・天賞堂が、輸入・販売していた「平円盤(へいえんばん)」を「レコード」と改称し、これが全国に広まっていきました。
英語圏でのレコードの様々な呼ばれ方
ここで「レコード」が国内での一般的な言葉になったのですが、英語圏では何と呼ばれるのでしょうか?
最も一般的な呼称は「レコード」です。
よって日本と同じですが、違う呼ばれ方もします。
素材からビニール
素材にちなんで vinyl (ビニール)と呼ばれる場合もありますし、技術的な意味で phonograph record (フォノグラフレコード) と呼ばれる場合も。
SNSなんかだと日本の音楽アーティストやクリエイターも「ビニールでリリースします」みたいに書いている人も見かけたりします。
アルバムはLPとも
上時間再生できる円盤型のレコードをLP (long-playing record) と呼ぶ場合もあります。
直径約30cm(12インチ)の盤面に、毎分33と1/3回転(33rpm)で、片面約30分という長時間再生を可能にした標準的なアルバム用レコードの規格で、旧来のSP盤(Standard Play)より大幅に収録時間が長く、高音質。
そのため、アルバム全体の世界観を楽しむのに適しレコードの主流となっていきました。
数曲の場合はEP
それに対し、2~4曲程度収録されたものとを「Extended Play」の略でEPと呼ばれる物も存在します。
7インチ(約17cm)のドーナツ盤(中央の穴が大きい)で、45回転で再生し、シングル盤より多く、アルバム(LP)より少ない曲数(片面2~4曲程度)を収録したレコード。
アルバムほどのボリュームはないが複数曲を届けたい場合にリリースされ、シングル盤とアルバムの中間的なフォーマットとして親しまれました。
その影響をうけて近年でも4曲程度が収録された作品を音楽配信ストアなどでリリースする際にも「EPリリース」などと謳っている文言も見かけます。
disk (円盤)
「レコード盤」という物理的な円盤の特性から「disk」と呼ばれる場合もあります。
日本でもアイドルのCDアルバムやアニメのDVDなどの物理メディアを購入したファンが「円盤」と読んだりますね。
国内レコード会社の設立
1925年にはNHK(日本放送協会)が設立され全国的なラジオ放送が始まっていきます。
ラジオはレコード産業ととても相性の良いメディアで、放送でレコードが流れる、聴く機会が増え作品が流行るという流れが世界的に発生していきました。
国内では1927年になると、
- 日本ポリドール蓄音機商会
- 日本ビクター蓄音機株式会社
が設立。
日米蓄音機製造が、日本発の電気吹き込みによるレコード発売するなど国産メーカーと国産のコンテンツに力を入れていきます。
1930年には、大日本雄弁会講談社がレコード部門を設立し、現在のキングレコードの母体に
1934年に帝国蓄音機株式会社設立され、現在の「テイチクエンタテインメント」に繋がっています。
その後、太平洋戦争に突入していく時代、レコード会社は外来語を禁止され会社名を変更したりなどのエピソードもありますが、戦後に社名を戻すなどして現代に繋がっています。
具体例としては1943年「日本ビクター」→「日本音響(株)」。1945年再び「日本ビクター」など。
アルバム化、ステレオ化でエンターテインメントの中心へ
1950年代になると、アルバムLPが製造・発売され、ステレオの規格が登場し定められました。
作品としてのクォリティが飛躍的に向上し、より多くの人の楽しみとして音楽レコードがエンターテインメントの中心になっていきます。
1960年代になるとコンパクトなカセットテープが発売され、より一般の家庭に広まっていきました。
私が幼少の頃の1970年代には大抵の家庭には下写真の様なレコードプレイヤーやラジオチューナーを備えた大きなオーディオシステムが居間に居座っていました。

我が家も3DKの典型的な昭和の団地でしたが、オーディオは立派な物がありました。
カセットテープも現代では見たことのない学生も多いです。

上写真の様なメディアで片手に持ちやすいサイズ。

「カセットデッキ」などと呼ばれるアンプやスピーカーも一体型と小型商品が登場し、レコードよりも扱いやすいし自分で録音もできるということで「持っていない人はいない」という存在になっていきました。
国内家電メーカーがレコード会社を設立
この様にオーディオ機器が売れるようになってくると、ビジネス、産業的にもレコード業界は大きく盛り上がってくることになります。
戦後は「昭和の3種の神器」と呼ばれた家電があります。
- 白黒テレビ
- 電気洗濯機
- 電気冷蔵庫
この3つが全ての家庭に行き渡るなかで、便利になり余裕が生まれる分「楽しみ」のエンターテインメントとしてオーディオ機器の重要が高まりました。
そこで老舗のオーディオ会社だけでなく、家電メーカーがレコード産業に力を入れていく事になります。
ハードウェアを売るにはソフトウェアが重要
当時の昭和の家電メーカーとして代表的なものとしては、
- ソニー (元: 東京通信工業)
- ナショナル (現: パナソニック、元: 松下電器産業)
- 日立製作所
- 東芝 (元: 東京芝浦電気)
- 三洋電気
- 日本ビクター
- 富士通ゼネラル
- 山水電気
などです。
これらのメーカーが何かしらの分野で世界中のマーケットを席巻し、ハイテク=日本というイメージと共に日本の経済が絶好調になっていきました。
いわゆる高度経済成長期で私が子供の頃。親がバリバリ現役で働いていたい時代の話です。
それぞれのメーカーについて説明すると長くなりすぎるので、最低限のポイントのみ。
サンスイの様にオーディオ機器が世界的に評価され有名な家電メーカーとなった例もありますし、ビクターなどもオーディオ関連から始まっています。
逆にソニーや東芝は電気や家電のメーカーとして始まり、音楽マーケットに力を入れていくことになります。
ソニーは現在の「ソニー・ミュージック」などを設立。
CBSやEPICなどと提携し、CBS・ソニーレコードやEPICソニー(エピックレコードジャパン)なども設立し、現在の「ソニー・ミュージック・エンターテインメント」(SME)グループに繋がっていきます。
東芝はEMIと提携「TOSHIBA EMI」というレコード会社を設立。
若い学生世代だと宇多田ヒカルさんや椎名林檎さんだったらギリギリ分かりますかね?
全国的なアーティストを排出していきます。
この様に各種家電メーカーが「オーディオ機器を売る為に作ったソフトウェア会社」としてスタートしそれが独立や分離して今に繋がっているという面があります。
CDの登場で更に市場が大きくなったレコード産業
1980年代にはいるとレコードやカセットテープなどのアナログメディアからCD(コンパクトディスク)というデジタルメディアに移っていきます。
これによりより高音質で (高音質の定義はここでは横に置いておいて)、取り扱い安くなり市場規模がさらに広がっていきました。
生演奏よりも広い市場規模が獲得できる
レコード・ビジネスは1900年前後から技術的には成立し世に出回っていきます。
コンサートと違い客席のキャパや年間公演数などを無視して、製造数と流通量の許される限りにおいて売上を上積みしていけます。
音楽体験としての質や良し悪しは別にして、ビジネス的な効果だけで言えば、音楽ビジネスの中心といえるポジションになっていきました。
デジタルへ移行するもビジネスモデルの変化はなし
その間にCDというデジタルディスクへの以降はありましたが、円盤の形をした物として販売するという部分では同じであり、ビジネスモデルの本質の変化はありませんでした。
メジャーと呼ばれる大手
国内では5大メジャーや6大メジャーなどというワードがメディアやビジネスニュースなどで頻繁に登場していました。
どの年代で見るのかにもよりますが、日本のレコード産業の黎明期から高度経済成長にかけては、次のようなレコード会社が大手メジャーとして認識されています。
- 日本コロムビア
- ユニバーサール・ミュージック
- ビクター・ミュージックエンターテインメント (現JVCケンウッド)
- 東芝EMI (現在は東芝が撤退)
- キング・レコード
- ソニー・ミュージック・グループ
- ワーナー・ミュージック
などがあります。
1990年代になるとエイベックスなども登場し一気に飛躍しますが、もう少し後の話です。
有名メジャーと呼ばれる

国内メジャーレコード会社の初期の多くは、蓄音機などのオーディオ機器、戦後は電気製品などを扱うメーカーが出資をして設立させていったことです。
具体的に当時の大手メジャーの簡単な設立の経緯をみてみましょう。
そこで日本のレコードが業界の黎明期から成長期の大手メーカーの成り立ちを、凄く簡単にですが見てみましょう。
設立年代順に書いていきます。
日本コロムビア
1907年に横浜に設立された蓄音機とレコードの製造会社「日米蓄音器株式会社」と販売会社「日米蓄音器商会」を母体に、1910年に株式会社日本蓄音機商会として設立。
1927年から米国コロムビア・レコードと提携関係にあり、レコード盤だけでなく蓄音機やその技術の輸出入を行っていました。
ややこやしいので詳細は書きませんが、日立製作所・日立グループ関連の資本と2001年までは関わりがありました。
ユニバーサル・ミュージック・ジャパン
1927年に設立された株式會社日本ポリドール蓄音器商會が後のユニバーサル・ミュージック・ジャパンの前身です。
1950年にポリドール蓄音器株式会社に社名変更し、その後も日本ポリドール株式会社など社名変更したり合併などがあり、現在はユニバーサル ミュージック合同会社が正式な社名となっています。
名前から分かる通り元々は「蓄音器」を販売していた会社です。
ビクターエンタテインメント
ビクター最古参の1つで、1927年に日本ビクター蓄音器株式会社として国内に設立され国内コンテンツの開発に乗り出します。
先に取り上げた株式會社日本ポリドール蓄音器商會と同年です。
ですが戦中の混乱の中での曲折があり、戦後もオイルショックの中での業績改善を狙って本体と音楽事業部を切り離して「ビクターエンターテインメント」(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)として分離子会社化しました。
こちらも名前から分かる通り元々は「蓄音器」を販売していた会社です。
キングレコード
キングレコードは少し違っていて、大日本雄辯會講談社、現代の講談社に設置されたレコード部が最初でした。
ただし1985年には三洋電機の資本参加と業務提携を受けていますので、家電・オーディオメーカーと全く円がなかった訳ではありません。
東芝EMI
1955年に東芝はレコード産業に参画し、1960年に音楽事業部が東芝音楽工業株式会社として独立しまいた。
その後、キャピトルEMIが資本参加し、東芝イーエムアイ株式会社(東芝EMI)と改称しました。
2006年には東芝が撤退してEMIだけが残っています。
東芝という名前を出しても最近は知らない学生が増えてきているのが悲しい限りですが、日本を代表する電気メーカーで家電メーカー大手の1つだったのです。
ソニー・ミュージック・グループ
1968年にソニー株式会社はCBSソニーレコード株式会社を発足させます。
CBSというのはアメリカの会社で、そことの合弁計画の元で作られました。
その後、いくつかの社内レーベルや部門を別会社にしたりなどを繰り返して現在のソニー・ミュージック・グループとして成長していきます。
ソニーは言うまでもないと思いますが、ウォークマンを初め革新的なオーディオ&ビジュアル機器メーカーです。
現在は若い人にはプレステのイメージが強いと思いますが、数え切れないほどの事業展開をしています。
ワーナー・ミュージック・ジャパン
1970年設立のワーナー・ミュージック・ジャパンは、米国ワーナーの株式50%で始まりましたので、最も家電A&Vメーカーの無いコンテンツありきの会社ですが、それでも設立時点では日本のオーディオ機器メーカーであったパイオニア株式会社が25%、渡辺プロダクションが25%を出資して実現しています。
家電メーカーがレコード業界に参入した理由

この様に少なからず家電やオーディオ関連のメーカーが設立のほぼ関わっているのが分かるかと思います。
そもそもこうした会社がレコード会社を設立する必要性はなんだったのでしょうか?
コンテンツ・ソフトウェアを楽しむためのハード
そこは語るまでもないかと思いますが「コンテンツ・ソフトウェアがなければハードは売れない」ということです。
「聴きたい」「楽しみたい」と思うコンテンツ・ソフトウェアがなければ、そもそもハードを購入して手に入れようとは思いません。
「欲しいレコード」がなければ「レコードプレーヤーが欲しい」とはならないのです。
家庭用ビデオ・ゲーム機業界でのコンテンツ・ソフトウェアの重要性

ハードウェアを売るためにはソフトウェアがやっぱり重要なの?
ハードウェアを売るためにはソフトウェアがとても重要です。
今さら説明するまでもない事だとは思いますが、僕は僕は家庭用ビデオゲームメーカーの趨勢を例えに良く取り上げています。
家庭用のビデオゲームの黎明期にはカセットビジョンと呼ばれるゲーム機が任天堂ファミコンよりも一足先に投入されていました。
しかし任天堂がその後に圧倒的なシェアと取っていく事になるのですが、そこに合ったのはソフトウェアの種類と充実度です。
他にもセガやNECなども参加していましたが、ソフトウェアの展開量が及ばず任天堂の座を奪う事はできませんでした。
節目としてはソニーのプレイステーションの登場です。
ソニーは徹底的にサードーパーティが参加しやすい環境を作り、圧倒的なソフトウェアの充実ぶりで任天堂を脅かす存在になりました。
子会社としてレコード会社を設立
特に戦後から高度経済成長期を迎える日本の家電メーカーには、国内のオーディオ市場の発展というのはとても重要でした。
昭和10年 (1935年) で7,000万人に満たなかった日本人の人口は、昭和48年 (1975年) には1億1千万人を突破します。
急拡大する市場とニーズを無視するというのは大きな機会損失になります。
そこでより積極的に日本人向けの音楽レコードの商品化が重要になっていきました。
そして、そのようなコンテンツ・ソフトウェアの開発・製造を行うためには、それを行うための部署が必要です。
既にノウハウを持っていて日本市場に参入したい外資系レコード会社と業務提携などを行いながら、子会社としてレコード会社を設立していきました。
このような形で続々と電気製品メーカーやオーディオメーカーがソフトウェアの開発に乗り出していったのです。
レコード時代の背景と流れ

さらに詳しく、少し日本のオーディオ家電の需要が高まった背景を見ていきましょう。
海外レコードの輸入だけでは市場は伸びない
蓄音機やレコードビジネスが登場した1900年代初頭は、レコードやプレイヤーを輸入して販売するという業務がレコード会社の中心でした。
米国ビクターは米コロムビアなどと国内の会社が提携し、そうした販売を行っていました。
そのためクラシック音楽やジャズなどのいわゆる洋楽が中心であり、レコードを買う人や聴く人の多くは、どうしてもそれらに関心があったり理解できる感性を持った人達に限られる傾向がありました。
そこで日本人に理解されやすい民謡や歌謡曲、日本の唱歌なども少しづつレコード化されていき、戦中の一時期は国策として軍歌が積極的に生産されたりもてしていました。
そうした背景がある中で、戦後はベビーブームによる爆発的な人口増加期を向かえ、さらなる日本人向けの音楽レコードの市場が大きくなっていきます。
必要家電から娯楽家電へ
昭和20年(1945年)大東亜戦争終結以後のしばらくは、生活が便利になる家電の重要が高まっていた時代でした。
生活家電と呼ばれ、冷蔵庫や洗濯機がその代表です。
やがてそこにテレビが参加して、
- テレビ
- 冷蔵庫
- 洗濯機
というのが「現代の三種の神器」と呼ばれていました。
テレビには情報といった側面もありますが、ドラマやスポートなどを楽しむ家族団らんを凄く娯楽としての面が登場してくるのです。
戦後経済の復興発展と共に「娯楽」「エンターテイメント」を求める需要が高まっていきました。
当時、家庭や個人で楽しめるエンターテインメント的なコンテンツといえば、
- 本
- 漫画
- 映画
- レコード
なです。
今と違いスマホや携帯、PCやインターネットなどはありません。
家電メーカーがオーディオ業界へ
高度経済成長期が見えてき、人々が生活に必須なもの便利にするものから娯楽エンターテインメントへお金を使ううようになると、大手家電メーカーもテレビ、ラジオ、レコードプレイヤー、カセットデッキ、CDプレイヤーなどといったA&V機器を市場に投入してきます。
当時、自宅で楽しめるエンターテインメントといてば、
- 本や雑誌、漫画などの紙媒体でのエンタメ
- 音楽を聴く
- TVを見る
くらいしかありません。
とうじはDVDやBDはおろかビデオもTVゲームもありません。
今、多くの人がスマホでコンテンツを消費するのと同等にレコードやCDを聴くという音楽コンテンツの消費は大きなマーケットになっていったのです。
ただし同時、この市場を広げるためには、前項で書いたように「コンテンツソフトの殆どが輸入」という状況では一部の先進的な人達に消費が限られてしまいます。
多くの大衆が求めていたのでクラシックやジャズ、洋楽などの楽しむのに少し難しそうと感じる物よりも、歌謡曲、演歌、落語、日本語の音声ドラマなど分かりやすいものでした。
そういったコンテンツ・ソフトウェアを市場に継続的に投入していくことが、家電メーカーがよりオーディオ機器などのハードウェア販売を促進させるために必要だったのです。
2000年代に始まったインターネットに寄る音楽配信サービス

その後のバブル経済崩壊の影響が実質的に出始めた1990年代後半から、中国の市場開放政策による製造関連の中国への移転により、日本の家電、オーディオメーカーは大幅に業績を悪化させ規模を縮小させていきます。
縮小・合併・撤退の日本メーカー
ビクターは縮小と合併を繰り返し、今も健闘していますが最盛期の面影はありません。
昔は育成開発のアーティストにも、それなりの制作予算がついて色々なアーティストのレコーディングなどに関わらせて頂きましたが、今は人員整理も進み、そういった案件も無くなってしまいました。
僕がいつも利用していたマスタリングスタジオ「JVCマスタリングセンター」も大規模な縮小と移転をしてしまいました。
東芝に至っては2006年に保有してた東芝EMIの株をEMIに全て売却し音楽事業から撤退しています。
こちらも僕がサウンドプロデュースを行っていたアーティストが東芝の撤退と共に契約が切れたりなどで大きな影響を受けました。
三洋電機に関しては2012年に完全にPanasonicに吸収されています。
レコード会社には関与していない(はず)と思いますが、家電A&Vメーカーとしてはシャープも既に日本メーカーではなく買収され台湾(鴻海精密工業)の会社となっています。
新興のレコード会社や他の分野からの参入
1990年代になるとエイベックスなどの家電メーカー系とは違う、音楽コンテンツ事業から始まったメーカーが登場します。
レコード作品のセールスがTV番組やTVコマーシャルで扱われるか大きなポイントにもなり、それらメディアと有効に使ったコンテンツや会社が成長していくようになります。
そんな中で放送局を始めとしてたメディア関連がレコード作品事業に参画してきます。
例えばTBSがキングレコードに資本参加、業務提起を行ったり、各局が独自に音楽出版社やレーベルを設立したり強化したりする動きがおこります。
オーディオ機器からスマホへ

2000年代に入るとiPodなどの携帯音楽プレイヤー時代を数年挟みましたが、2008年ころからは完全に音楽の視聴はiPhoneなどに代表されるスマホへと市場は移行していきました。
当然ながら家電メーカー、オーディオ・メーカーからすると膨大な経費を掛けて音楽コンテンツを作成しても自社グループ全体の活性化には繋がりにくくなる状況が続きます。
そうなると音楽事業単体で採算や利益率を確保できるようにチェンジしていかなければなりません。
規模を縮小したり他社と合併をしたり、音楽事業から撤退したりという動きが加速していったのです。
今後、音楽コンテンツが必要になる分野は?
スマホ時代になり今後レコード会社を持ち運営するメリットがあるのは、家電メーカーではなくスマホを使ったコンテンツやプラットフォームの運営事業者ということになります。
1つの例を上げると、現在であれば動画全盛時代。
NetFlixなどは過去最高の売上を更新しています。
映画やアニメなどの映像作品には当然ながら音楽が必要ですので、自社グループで音楽を作り、それを映像作品での利用だけでなく、音楽単体やアーティストも含めてた事業としても運営できることは強みになります。
事業展開を生かしたソニー・ミュージック・グループ
ソニー・ミュージック・グループは他の家電A&Vメーカー系とは一線を画してきました。
元々グループとして映像コンテンツ事業が強いですので、それらを取り入れて上手に展開しています。
アニプレックスなどのアニメ事業も参加に持っていて、自社のレコード作品を掛け合わせることによりグループ全体でそれぞれの収益性を高めることができます。
今となっては若い世代は知らない会社も

ビクター、東芝、サンヨー、日立などの名前を出しても、近年の学生は「知らない」「聞いたことがない」という人達の方が増えています。
日本にはこうした家電メーカーがあり(今もありますが)、当時の家電やA&V業界では世界を席巻し日本の高度経済成長期を支えた大企業たちの一角だったのです。
ビクターやサンヨーは事実上無名に
毎年、大学の講義の中で「知っているレコード会社を3つ以上書いてください」というアンケートを取っていますが、ここ数年はビクターという名前は一度も登場したことがありません。さらに「ビクター」とか「JVC」って知っている?と問いかけても「知らない」「聞いたことがない」と回答する学生がほぼ100%です。
知っていても数十人に一人くらい。
現在も一流アーティストを排出しているレコード会社だけに、僕が学生だった時代と比較すると世の中が変わった感を感じます。
アーティストや楽曲のプロモーション時にレーベルやレコード会社を当時ほど露出させていないという事も影響しているかと思います。
三洋電機(SANYO) を知る人はもう流石にまずいません。
1980年代はSANOYOのダブルラジカセ持っている人は結構周りにいたのですけれどね。
パイオニアは世界で高評価だったが…
パイオニアも最近は知らない人を多く見かけるようになりました。
30代以上であればカーオーディオやカーナビのメーカーとしての認識があるかもしれません。
カーオーディオなどでも生かされている堅牢なスピーカーユニットに世界的に定評があり、様々なオーディオ製品にOEM供給されていたりしました。
海外のプロ用小型スピーカーなどでも「あのパイオニアのユニットを使用」みたいな売り文句を見かけたこともあります。
しかし技術力や市場シェアとは裏腹に経営はうまくいっていなかったようで、近年はほとんどのオーディオ関連事業を売却してしまいました。
ホームAV事業を行っていた子会社PHEをオンキヨーへ譲渡し「オンキヨー&パイオニアマーケティングジャパン株式会社」という別会社になっています。
DJに興味のある人だとパイオニアは知っていると思います。
DJ業界ではとても評価が高かったのですが、DJ関連を手掛けていた「プロSV事業部」を世界有数の投資ファンドKKRへ事業譲渡しています。
新しい会社名は「Pioneer DJ株式会社」となり「パイオニア」という名前とブランドは残りましたが、日本のパイオニアとは完全に別の会社となっています。
時代の状況に合わせた音楽と活動が常に必要
このように時代、プラットフォームが変化すると当然ながら音楽のあり方も変わってきています。
CDなどのオーディオメディアが全盛の時代には「CDを聴いてもらいやすくなる」音楽作りやプロモーションが重要でした。
例えば当時は、
- TV広告からの動線が重要な時代には如何に15秒でキャッチーに聴けるサビを作るか
- カーステレオでの視聴が多い時代には、如何にドライブミュージックとして成立させるか
- CD店の試聴機での動きが重要な時代には、通常のリスニング環境は捨てて試聴機で一番良く映えるように
などをレコード会社担当者やディレクターは呪文のように唱えていました。
現代ではプロモーションなども過去とは大きく変わっていきます。
このあたりも書き出すと止まらなくなってしますのですが、既に1万文字…。
本当は5,000文字以内にどの記事も押さえたいのですが、なかなか書き出すと止まらなくなる性分でして。
とりあえずそんなところで、では、また。














