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音楽出版社の登場【歴史的背景と役割】

音楽出版社の登場【歴史的背景と役割】_thumbnail 音楽の学び
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岩崎将史まさふみです。

音楽出版社が登場してきた背景と役割についての解説です。
音楽出版社は、

  1. 近世
  2. 近代
  3. 現代

とで、役割が異なっていきます。
今回は音楽出版社登場時の近世から近代にかけての話です。

現代についてはまたの機会に書きます。

楽譜の出版が初期の役割

音楽出版社ミュージック・パブリッシャーの訳語です。
直訳すると音楽を公開する人たち、とでもなるでしょうか。

音楽出版社が登場したのは楽譜の活版印刷が実現してからです。

活版印刷の登場

1439年頃にヨハネス・グーテンベルク が活版印刷を考案。
それ依頼、書籍の印刷製造の効率が劇的に上がり、出版量が飛躍的に増大していくことになります。

その後、1501年には楽譜も活版印刷で大量に印刷が可能となりました。

近世近代の音楽出版社の興隆

近世近代の音楽出版社の興隆

世界初の音楽出版社は1550年頃のイギリスて登場したと言われています。

近世の幕開けと共に発展

音楽出版社が大きく活躍しだしたのはそれから150年ほど後の1700年代からです。
音楽出版社の重要性が大きく高まった時代でした。

その時代の年表を作成してみました。

バッハハイドンモーツァルト、そしてベートーヴェンが活躍した時代。

これがどの様な時代だったのかが分かりやすいように、歴史的に重要な事項を加えてみます。

楽譜の活版印刷の登場からは実に200年程が経過した後の成熟期。
大航海時代を終えイギリスが東インド会社を設立。
欧州が貿易により世界中の富を集めていた時代です。

集めた富で城や宮殿を建設

そしてこの時代に王侯貴族の文化が栄え様々な宮殿建設されました。

その貴族文化はフランス革命や1848年革命などで終焉を迎えて行きますが、それまでの間に様々な城や宮廷が建造されました。

いくつかの有名な宮殿の建設や修繕、増築などを年表に入れてみました。
皆さんも知っている宮殿や城の名前がいくつかあるかと思います。

宮殿については、これまでもいくつかの記事の中で取り上げています。

今回はこれまで取り上げなかった物を少しピックアップしてみます。

フレデリクスボー城 (wiki)
フレデリクスボー城の大ホール (wiki)
サンスーシ宮殿の現在の外観 (wiki)
サンスーシ宮殿の楽器練習室(wiki)

こうした城や宮殿には大抵、ホールや音楽室が用意されているのが分かるかと思います。

こうした背景の中で音楽出版社がより活躍していくことになります。

近世での音楽出版社の活躍

モーツァルト前後の時代となりますが、この時代は王侯貴族が音楽家のパトロンとなっていました。

そのため初演はパトロンの城や宮殿、ホールなどで行われました。

多くの貴族や裕福な市民が集まる中、聴いた人が気に入った曲があると楽譜を借りることができます。
1回貸す度に使用料を徴収する、いわゆる楽譜レンタル業務。

これが音楽出版社の重要な仕事でした。

音楽出版社は印刷技術を元に、目星を付けた作曲家と契約し作品を楽譜にしてレンタル販売をする権利を譲渡してもらいます。

その代わりに売上を作曲家と分けるというシステムで、1/2づつに分けていたという話もあります。

楽譜を印刷してレンタル販売をすることから、ミュージック・パブリッシャーと呼ばれるようになりました。

Publish公開するという意味がありますので、音楽を公開する人たちということになります。

また貴族や市民だけでなく王立、公立の音楽学校も重要な市場マーケットの一つでした。

近世においての音楽出版社のビジネスモデルをまとめると、この様になります。

プロダクト・楽譜
プラットフォーム ・印刷物のレンタル
ターゲット・王侯貴族
・王立音楽学校
プロモーション・演奏会
・パーティー
近世の音楽出版社のビジネスモデル

近代の音楽出版社の活動

近代に入ると音楽を取り巻くマーケットが大きく変わってきます。
いわゆる広義の意味での市民革命を経て、政治経済の主導権が王侯貴族から市民へと写っていきました。

それと同時に音楽を始めとするエンターテインメントが市民を対象としたビジネスモデルへ変容していきます。

市民化へ対応した音楽出版社とベートーヴェン

この動きの最初はベートーヴェンと言われています。

ベートーヴェン以前の音楽家は、

  • 宮廷や有力貴族に仕える
  • 作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲

が中心でした。
ベートーヴェンは、そのようなパトロンとの主従関係やそれに基づく音楽作りから脱却して、

  • 市民に向けた作品を発表
  • 音楽家=芸術家であると公言
  • 一作一作が芸術作品として創作

というスタンスに変わっていきました。

音楽出版社にとっても貴族や公演を行う演奏家だけでなく、楽器を嗜んだり学ぶ機会の増えたより多くの市民を対象にし、マーケットを広げていきました。

楽譜のレンタルから販売へ

これによりオペラなどの総合舞台が大規模化し、多くの集客ができるようになりました。

また楽譜の需要が王侯貴族やそれに属する演奏家から、市民の間にも高まっていきました。

こうしたマーケットの変化と印刷技術の向上などが合わさり、楽譜はレンタル業務から販売業務へと移行していくようになりました。

現代でも残る楽譜レンタル業務

現代でも楽譜のレンタル業務は残っています。
特定のオーケストラ団体などより委嘱され書き下ろした曲などは、大量に印刷しても数量を販売できます。
そのため、実演したいオーケストラなどから問い合わせを受けた際には販売ではなく楽譜のレンタルという形で公演ごとに費用が定められ貸し出されます。

ですので、作曲家の収益は本来は、

  1. 他人が演奏のするために楽譜をレンタルして売上の一部を得る
  2. 大量に印刷して売れる曲は販売して売上の一部を得る

という順序でした。

この考え方が後のレコード、CD時代への著作権ビジネスに繋がっています。

楽譜系音楽出版社の実例

楽譜系出版社の実例

こうした楽譜の印刷、販売業務からスタートした音楽出版社は多数あります。

ここでは欧州の例と日本の例をまとめてみます。

欧州の音楽出版社

有名な出版社の代表例として、ドイツのショット社があります。
230年を越える歴史を持つドイツ最大の音楽出版社で、1770年にベルンハルト・ショットによってドイツのマインツに設立されました。

19世紀に入り、ベートーヴェンの作品の出版を手がけたことで有名になり、音楽史的にも重要な出来事になっています。

  • ミサ・ソレムニス Op. 123
  • 交響曲第9番 Op. 125

などベートーヴェンの後期の重要な作品がショット社から出版されています。

また、

  • ニーベルングの指環
  • ニュルンベルクのマイスタージンガー
  • パルジファル
  • ワーグナーのオペラ

など、当時の音楽出版社が作業量の膨大さに乗り気でなかった作品をショット社が手掛け評価が高まりました。

他にも

  • ワーグナー全集
  • ヒンデミット全集
  • チャイコフスキー全集
  • ムソルグスキー全集

など重量級の作品を多く取り扱いました。

他にも多くの音楽出版社があり、外部サイトですがこちらのサイトが上手にまとめています。

日本の音楽出版社

日本の音楽出版社の始まりは以下の3社でした。

  1. 全音楽譜出版社 (1931年〜)
  2. 日本楽譜出版社(1940年〜)
  3. 音楽之友社 (1941年〜)

最初期の全音楽譜出版社は楽譜の印刷会社として創業し、第2次世界大戦後に楽譜出版社となりました。
ピアノ曲集、ピアノピースが特に充実しています。
先に書いたドイツのショット社と提携して、オイレンブルク・ポケットスコア日本語版を刊行しました。

音楽出版社のその後

音楽出版社のその後

1900年代以降、近代の終わりから現代になると、音楽出版社の役割は大きく変容していきました。
音楽マーケットのプラットフォームが楽譜からレコードへ大きく変わったからです。

そこで扱うものが楽譜などの出版から著作権へと変わっていきます。
それについはまた別の話となりますので、後日改めて書きたいと思います。

では、また。

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